SHUYU
MOUNTAIN RANGE

修猷山脈
昭和51年卒
養父 重紀

修猷ラグビーのジャージの色と闘魂碑の位置について

修猷ラグビージャージの色は、私たちの昭和50年代前半は濃紺に近い色で、明治大学ラグビージャージに近い色であった。
一方、修猷館ラグビー史(40周年)に掲載されている写真(白黒)を見ると昭和24年11月の国体優勝時までは薄い青色であったと思われるが、昭和25年よりは明らかに濃い色になっている。
自分が入部した昭和48年に相当古いジャージをもらったが、その色は薄いブルー、ケンブリッジ大学ジャージの色に似たものであった。
昭和25年頃から50年代の相当期間濃い色になっていたのは何故であろうか? 以前東京修猷ラグビーOB会にて、ある先輩から一度調べろとのお話を頂いたことがあった。
2019年12月にOB忘年会の際昭和28年卒の森部信二先輩に伺っていたので、今回100周年を記念してそれを記録として残したい。

修猷ラグビージャージの色はトルコ石色=ターコブルーである。
濃い青へ変えたのは昭和25年である。当時は染料がそれほど良くなくて、ジャージを洗濯すると色落ちしてしまう。特に昭和24年の国体優勝時に着ていたジャージを洗濯したら白くなってしまった。
これはいかんということになり、色落ちを考え濃い青にすれば洗濯後にターコブルーになるであろうと考えてのことであった。
しかし、その後染料が良くなり、洗濯しても色落ちせず濃い青のままとなったので最近(年不明)は本来のターコブルー色に戻している。

それから、覚えておいてほしいことがある。創部50周年で建立した「闘魂碑」の位置である。
闘魂碑を建てた場所は適当に選んだわけではない。
その場所は、昭和25年8月9日に西南との試合で頭を強打して亡くなった魚住功さんがタックルして倒れた場所の延長戦上に設置したものである。
このことを忘れずにいてほしい。よろしく頼む。