SHUYU
MOUNTAIN RANGE
修猷山脈


昭和60年卒
井田 智之
花園に手を伸ばして

私たちの代では、前年まで福岡高校が連続で花園出場している時代でした。しかし、私たちの代の新人戦、九州大会予選ではそれぞれ福岡高校以外が勝ち、どの高校にも花園が狙えると思われていました。

その九州大会予選では、県予選で筑紫(早稲田に進んだ篠原君がいて強かったです)と県大会1回戦で八女工業(FWがとにかく大きかったです)に引き分け、抽選にて勝ち上がり、準決勝に進みました。そのため福岡県3位となりました。2試合連続引き分け抽選勝ちでしたが、2試合とも追いついての引き分けでしたので、勝利の流れが抽選結果に結びついたと、抽選した私としては勝手ながらそう感じていました。

その年の夏の合宿では、鹿児島県の大口高校に出向き、九州南部の高校と練習試合に励みました。私たちの世代は昭和でしたので、他チームの指導の在り方を見て、当時顧問の淵本先生が非常に優しいと感じることが多く、令和の現在では考えられない指導やしごきがあり、驚きを感じつつ合宿に取り組んでいたことを覚えております。
花園予選では、結果を出せずに終わり、残念なものになりました。

私自身は、筑波大学に進みラグビーを続けました。この筑波大学も昨年100周年を迎え、盛大に祝うことができました。
私個人としては、兄が花園に出場していたため、私も全国へと思い、同じ修猷館のラグビー部に入部し、筑波大学に進み、ともに伝統のあるチームでラグビーを行ってきたことに対して誇りを持っております。ラグビー部の同期、先輩・後輩は一生のつながりを共有する仲間となっております。
100周年を迎えた修猷館ラグビー部の益々の発展を願っております。