SHUYU
MOUNTAIN RANGE


私の人生の支えであり続けるもの
修猷館高校ラグビー部創部100周年、誠におめでとうございます。この記念すべき年に当たり、遠い記憶を手繰り寄せながら当時を振り返りたいと思います。

我々、平成5年組は岡本監督2期生であり、ベテラン監督の渕本先生、今村先生の定年退職と異動に伴い、高校2年時に20代の岡本先生が着任されました。私も50歳となり30年以上も昔のことですが、当時が強烈な経験なのか、今でも練習の夢を見るなど、現在の私を形作った密度の濃い3年間でした。

私は元々「キャプテン翼」が好きで、中学入学後はサッカー部に入部しました。しかし中学2年で転校しラグビー部しか無かったため、同じフットボールというこじつけで仕方なくラグビー部に入部しました。当時、中学校でのラグビー部が少ないこともあり、3年時には九州大会にも出場しましたが、決勝で敗れた悔しさから高校でもラグビーを続けることを決めていました。
運よく修猷館高校に入学できた私は、迷わずラグビー部の門を叩きました。ポジションは当時の早稲田大学の堀越選手のプレースタイルへの憧れと身長の低さから、スクラムハーフを希望しました。入部早々の歓迎会では、先輩方に西新のお好み焼き屋に呼び出され、新入部員で通過儀礼の裸芸を披露しましたが、他のお客様に通報され、出禁になってしまいました。
1年時は先輩とは別メニューも多く私としては伸び伸びとプレーしていましたが、2年時に岡本先生が着任されてからは、練習の緊張感も高まり、また高校からラグビーを始めた同期にも実力で追い抜かれ不甲斐なさを感じていました。ただ、先輩方には随分と目をかけて頂き、特に菅田主将のチームの先頭に立つリーダーシップには心底慕っていました。

先輩方の引退後最上級生となりましたが、私が主将に選ばれました。ただ2年で既にレギュラーになっている同期もいましたし、選手として突出した所が無かった私にはプレーで引っ張ることは出来ませんでした。また、チームとして強豪とは言えず県大会に進めるかといった状況でした。OBの方から「弱い」と直接言われ悔しい思いもしましたが、私自身はプレーで皆の先頭に立つことができず、主将という立場での空回りの責任感と、毎日の練習が無事に終わったことの安堵感の繰り返しでした。ただ、岡本先生には我慢強く、時には不甲斐なさから厳しい指導を頂きました。私の甘さを見透かされていたのだと思います。最後の試合が終わった後、当然悔しくもありましたが、私自身はこれで終われるといった気持ちも強かったのが正直な気持ちでした。

高校卒業後は次第にラグビーと距離を置いてきましたが、社会人となり「修猷館ラグビー」に何度も救われたのも事実です。Uターン就職で福岡に戻ってきましたが、ラグビーを経験していた、それも修猷館でということで、色々な方に目をかけて頂きました。また、2019年の日本W杯開催では日本中がラグビーで盛り上がりを見せる中、更に知り合いも増え、充実した日々を送っています。
葛藤を抱えながらラグビーを辞めてしまいましたが、結局「修猷館ラグビー」に支えられた人生であったと感謝しています。当時、熱心に指導してくださった岡本先生やOBの方々、一緒に汗を流した同期や先輩後輩の皆さまに、心から感謝申し上げます。
ラグビーが持つ人間形成に資する特徴として、ラグビー憲章に「品位、情熱、結束、規律、尊重」の5つが挙げられています。修猷館高校ラグビー部がまさにその学びの場として、今後も素晴らしい伝統が脈々と受け継がれ、後輩たちがかけがえのない経験を通して成長していくことを陰ながら応援しています。