SHUYU
MOUNTAIN RANGE


「6名」の同期
「6名」。私の同期の人数である。調べてみると少なくとも平成世代では、最も少ない部員数の代である。いや、正確に述べるとするならば入部の際は10名以上がいた。したがって、最後まで残った精鋭ともいえる。
6名という人数からも、先輩である南薗浩二主将・北原大吉主将、後輩の児嶋真吾主将、三角公志主将の代に支えてもらっていた。これは心底想うことであり、我々の代は、その後の花園出場の可能性を感じる後輩達と一緒に戦った代ともいえる。
平成12年-2000卒--1024x683.jpg)
"秋の全国大会県予選では、「今度こそ勝つ(優勝する)」"という想いがあった。新人大会県予選 3位、春の九州大会県予選3位での結果であったことから、"当時は"「あと2つ勝てば優勝」とも感じていた。
実は当時、長崎南山高校とよく試合をしていた(先生に試合をセットして頂き、長崎での合宿もアレンジ頂いたこともありがたく感じている)。同校は強かったが、我々が負けた覚えがないほど修猷館は勝っていた。この長崎南山高校は、その年花園に初出場し、2回戦では啓光学園(大阪)に勝利するほどであった。簡単な比較は望ましいことではないものの、それでも我々が3年生の時のチームは、決して弱いチームでもなかったとも感じている。しかしながら、秋の全国大会県予選では、想像したものとは全く異なる結果で終了した。
戦績で表現すると上記のようなチームなのだが、当時の用具倉庫に「昭和52年(1977年)花園出場」記念寄贈というような銘板があった。1年生であった平成9年(1997年)当時、ラグビー用具を片づけるたびに"花園に出場したのはもう20年も前なのか"ということを思い出す。
平成12年-2000卒--1024x682.jpg)
我々の代は、今の現役部員に強化の観点でアドバイスできる立場では全くない。それでも現在の修猷館ラグビー部の部員には、「本気で花園を目指し、花園出場を勝ち取ってほしい」と思う。高校ラグビーの環境も我々の時とは大きく異なり、花園に出場することは従来にも増して難しくなっていることは理解している。"花園出場"が全てではないものの、本気でそれを目指すことがその後の自身の成長と人間形成に大きく寄与することは、間違いないと感じている。
ご指導頂いた岡本先生および瀬尾先生にも感謝を申し上げたい。岡本先生からはラグビーは勿論、人間として成長することの重要性を教えていただき、瀬尾先生には、特に先生自らテーピングを巻いてくださり、多くの部員を助けていただいた。
私の代は、今年で44歳になる年齢だ。ようやくこの歳になって分かることもある。
岡本先生が練習中に「本気の本気で花園を目指すやつがいないと勝てない。その数が今(我々が3年の時のチーム)も少ないし、花園にいけるかもしれないと思った代の過去も少なかった」という仰っていた意味も今なら理解できる。「本気で」という意味は、"試合中の瞬間的な感情""強く願う""そのために日頃から努力する"という次元のものではなく、「人間として向き合う・考え抜く・やり抜く」ということなのだろうなと感じている。
平成12年-2000卒--1024x576.jpg)
そして、岡本先生が仰っていた「"かっこいい人間"になってほしい」というメッセージの意味。
これからも「6名」という少ない同期だからこそ、人生の中で本気で追求することができることなのではないかなとも感じている
同期の6名が今「かっこいい人間」になっているかは不明であるが(笑)、天国にいる同期も含めて、6名全員が「かっこいい人間」になれたらと思う。