SHUYU
MOUNTAIN RANGE

修猷山脈
平成13年卒
児嶋 真悟

17人の仲間と駆け抜けた青春

無情にも試合終了のホイッスルが鳴った。全国大会県予選準決勝、対筑紫高校戦。29-30、1点差の敗戦だった。下馬評は誰の疑いもなく修猷が優勢であったが決勝に駒を進めたのはまさかの筑紫。今でもあの日試合後の記憶があまりない。まさかの引退試合となってしまった。

我々、平成13年卒は経験者、ラグビー素人含めて個性豊かな17名が揃った。私はその中でキャプテンとしてチームをまとめることになった訳だが、先生からも奇人変人の集まりと言われるほどキャラの濃いメンバーばかりであった。さらに一つ下の代には草ヶ江ヤングラガーズ出身の能力の高い後輩が複数名入ってきたこともあり、私の代と合わせて近年にはない強いチームが構成された。戦績は新人戦県大会予選ベスト4(準決勝で東福岡に18-22で敗退)、春の九州大会県予選は準優勝(決勝で東福岡に22-23で敗退)、九州大会2位ブロック優勝(約50年振りの優勝)。

振り返ると、引退試合となった筑紫戦はレフリーの笛に泣いた部分が多分にあるため別として、やはり東福岡には勝てそうで勝ちきれなかった。「打倒東!花園出場!」と本気で言い続けて練習してきたが、試合中に実際リードして勝てる可能性が出てくると、勝ち癖がついていないチームはどうも勝ちきれない。ここが常勝軍団と言われているチームとの経験の差であったように思う。後一歩のところまで行って負けるのは本当に悔しかった。

私はその悔しさを晴らすべく高校卒業後、同志社大学に進学しラグビーを続けた。同志社は当時、関西の雄と言われる強豪校で関東の大学にも負けないスター揃いのチームだった。私の同期も高校日本代表、U19日本代表の選手が多く非常にレベルが高かった。大学ラグビーは高校ラグビーとはフィジカル面で全くレベルが違い、並大抵の努力ではレギュラーを取ることは難しい環境であった。練習の強度も格段に上がったが、どんなにハードな練習であっても高校3年間で培った体力・精神力があったためしんどい練習にも耐えることができた。理不尽なコーチがいても食らいついて頑張ることができた。努力の甲斐もあって、3年生からスタメンで試合に出場し3、4年生の時には関西リーグ優勝、大学選手権ベスト4の戦績を残すことができた。大学時代は大怪我も経験し辛い時がたくさんあったが、途中で諦めずに頑張ることができたのも高校時代先生方にみっちり鍛えてもらったからだとつくづく感じる。

「死ぬまで走れ!」高校時代の忘れもしないあの言葉。8月上旬にある恒例の夏合宿で岡本先生から朝練の一言目に言われた言葉である。砂浜のような当時のあのグランドでランパスを永遠続けた事は今でも鮮明に覚えている。今の時代であれば、岡本先生と瀬尾先生はパワハラで問題になっていたかもしれないが(笑)本当によく鍛えられた。フィジカル面というよりメンタル面が鍛えられたと感じる。ただ、もう一度あの頃に戻れと言われても私は絶対拒否する。笑い話であるが、同期の谷はその恐怖のランパス中に途中で逃げ出すための言い訳を100個は考えたと言っていたが、先生が怖すぎて結局言い出せずに最後まで走り続けたらしい。

そんな苦楽を共にした私の同期17人も今では40を超える歳となりそれぞれが自分の道を歩んでいる。結婚して親になったものもいれば未だに独身貴族のものもいる。高校を卒業する時に先生から「卒業しても仲間に悲しいこと辛いことがあったら皆で集まって支え合え」と言われた事をこの歳になってよく思い出す。40を過ぎるとみんな親の事や家族の事、様々な変化が起きるものである。先生の教えに従い、仲間に何か辛い事があった時にはみんなで集まって支え合いたいと思う。

最後になりますが、修猷館ラグビー部創部100周年、本当におめでとうございます。今後も誇り高い伝統あるラグビー部のOBとして微力ながら部の発展に貢献していきたいと思います。

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