SHUYU
MOUNTAIN RANGE


これからも23人で
修猷館高校ラグビー部創立100周年にあたり、今からちょうど15年、ラグビー部で過ごした日々を思い返しながら、私たちの3年間の思い出をこの記念誌に記させて頂きたい。
私たちが入学したのは2007年(H19年)。まだ学校には"ニタイ"があって、最初の部室はニタイ下だった。先輩方から「20人集めなかったら坊主!」という今なら完全アウトな指令を受けていたおかげで、23人の仲間が集まった。今のところ歴代でも2番目に多い(下川調べ)。昼休みに教室を回り、まだ友達でもない同級生に「ラグビー部入らん?」と声をかけまくっていた。今思うと「THE 青春」だが、それだけ高校生活を坊主でスタートさせたくなかったのだろう。
入部した時の先輩方、特に3年生は体も大きく、とても大人に見えた。特にキャプテンの農塚さんはオーラがあって近づくことも躊躇した。ラグビーだけでなく学校行事でも学校の中心に立っていた先輩たちは憧れだったし、誇らしかった。あんな風になりたいと思い続けた3年間であった。

ランパスから始まる練習はいつもきつかった。毎日雨乞いをしたし、封印の儀式もした。どんなに暑くてもヘッドキャップをつけて走ったし、どんなに寒くてもウインドブレーカーを着て練習することは許されなかった。(後に寒そうに練習しているのを御領園先生にひどく怒られ、伝統だと思っていたその風習は突然終わった)。先輩も怖かったが、その先輩たちが恐れる顧問の先生たちはもっと怖かった。グラウンドにいない時も体育教官室から見られているんじゃないか、というソワソワした気持ちを常に持ちながら砂のグラウンドで走り続けた。
3年生になり、私は主将になった。当時も東福岡、筑紫が強く、福岡の決勝が事実上の全国決勝と言われていた。だが私は花園に行く気マンマンだった。九州の強豪校には負けなかったし、関西遠征に行かせてもらった時には常翔学園、天理、大阪朝高にも対等にやりあえた。自信をもって迎えた最後の大会、久々にベスト4の壁は超えたが、筑紫には勝てなかった。その筑紫に5点差で勝った東が花園を制した。
悔しい思いで終わった高校ラグビー生活だが、この同期の23人じゃなかったら「楽しかった」と振り返ることは出来なかったと思う。「修猷館ラグビー部」という場所があったから、一生の仲間を作ることができた。100年という途轍もなく長い間、先輩方が守ってきたこの場所を私たちも繋いでいかなければいけない、と強く思う。

最後に同期のみんな、この100周年行事にあたって、様々なお願い事を快く引き受けてくれて本当にありがとう。みんなの協力的な姿勢に助けられたし、この代で良かったな、とつくづく思いました。これからも集まりの良い、レスポンスの速い学年でいましょう。そしてたまには集まって、いつもと同じ内容の思い出話をしましょう。