SHUYU
MOUNTAIN RANGE

修猷山脈
平成24年卒
東 哲平

年表に載らない思い出

この度は『修猷ラグビー』100周年おめでとうございます。100周年事業におかれましても諸先輩方の尽力により迎えられることに対して感謝申し上げます。大変恐縮ではございますが、記念誌に掲載される文章を書かせていただくことを誇らしく思います。

私たち平成24年卒組は20名の個性豊な仲間で、日々練習、試合を泥だらけ、大汗まみれ、怪我まみれで乗り越えてきました。時に個性を出すことはいいことだと、はき違えることもあり、先生方、先輩や後輩にもご迷惑をおかけしたこともありました。ラグビーの成績自体も、新3年時の新人戦ではベスト16で敗退し、その後の大会も当時花園3連覇を成し遂げる東福岡高校に大敗し、福岡県ベスト8止まりという結果に終わりました。この修猷館ラグビー部の長い歴史の中で、私たちのことが書かれることとなると1行程度のことしかないかもしれません。しかし、私たちの中では、高校ラグビーの3年間がどれだけ長く濃い経験だったか、苦しくも楽しい思い出だったか、そして、かけがえのないものだったかというのは、文字に起こそうにも起こせないほどのモノです。

入学当初、ラグビー経験、未経験に関わらずグランドで泥臭く地道に挑戦し、学校行事などグランド外でも活躍する先輩方の姿に『カッコイイなー!』と強烈に憧れたのを覚えています。しかし、実際に自分たちが3年生になってみると、正月のグローバルユース予選や新人戦で思うように勝てない、定期戦でも競り負ける、経験者も多く2年時からレギュラーを張るメンバーも多かったなかでのこの現実に『こんなはずじゃなかった』と思う時期も経験しました。その中でも、夏合宿や練習試合で高鍋、石見智翠館、大分舞鶴と花園出場校にも勝利し、波はありながらもチームの成長を感じていきました。最終的に東福岡という高い壁に阻まれ、負けたことに対する後悔や気落ちももちろんありましたが、授業を終えたら部室に集まって練習に行くという日常が終わってしまうことへの切なさの方が強かったのを覚えています。練習や試合は体力的にも精神的にもきつく、もう二度と体験したくないですが、鹿児島合宿初日に宿舎である福田荘の部屋への入室と同時に聞こえてくる悲痛な叫び、合宿に行く道中でだれかが逃亡しそいつを皆で探すことで時間をつぶそうという馬鹿な作戦立案、土日の練習後に昼飯行こうという呼びかけ、早めに練習が終わっても下校時間ギリギリまで部室に居座っていた時間などなど、この日常を経験できるなら、もう一度高校生活を送るのも悪くないと思わせるほど充実していました。年表に載るほどでもない9割のことが高校生活の大切な思い出なのです。

現役世代は、私たちの頃(約15年前)とも違うことが多い高校生活を送っていることと思います。100年前の大先輩の高校生活と比べると全く違うものになっているのかもしれません。それに加えて、ラグビー自体もルール改正により日々変化し続けています。同じ修猷館ラグビー部とは言え、経験すること、してきたことは全く違うものにこれからもなり続けるのでしょう。しかし、修猷館ラグビー部という何にでも挑戦できる環境さえあれば、それぞれの話も世代を超えて尊重し合え、意気投合し、語りあうことができる。そのためにも、これから何十年先も同じように挑戦できる環境を引き継ぎ、勝敗だけでなく、年表に載らない思い出もいろいろな世代と語らいあえるように微力ながらお手伝いできればと思います。

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