FORMER JAPAN
REP SPEAKS


2001年 日本代表

(ラグビーを始めたきっかけ/幼少の頃)
10歳の時に小学校の友達に誘われてラグビーを始めました。それまでラグビーには全く縁がなかったのですが、デカいからという理由で友達に勧誘されたのがきっかけです。ラグビーを始めたばかりの頃はルールを理解しておらず、練習中にボールを前に投げてしまいコーチもびっくりしていました。
(修猷ラグビーの想い出/先生・チームメイトなど)
2年生の時の新人戦県大会1回戦。相手は東福岡。前日のタックル練習で左肩を脱臼してしまい、東戦は欠場と思ったのですが、岡本先生から「出ろ!」との指示。「この試合に勝ったらお前の人生は変わる!」と言われました。テーピングぐるぐる巻きにして左腕は全く上がらず、ラインアウトも片手でなんとかやりました。結果、東福岡に勝利。その勢いで福岡県を制覇し、九州大会でも準決勝で長崎北陽台も撃破しました。決勝では佐賀工業に負けて準優勝でしたが、その後、福岡県代表、九州代表、高校日本代表の候補合宿に呼んでいただき、最終的に遠征メンバーに選んでいただきました。先生の言うように本当に人生変わりましたね。


(大学・社会人での出来事・想い出)
・早慶戦には4回出させてもらったのですが、戦績は3勝1敗でした。1年の時は対抗戦全勝の早稲田対全敗の慶應。誰もが早稲田の圧勝を期待していたと思いますが、その日は慶應のタックルが決まり、早稲田を前に出させませんでした。慶應はタックルのチームだということを改めて実感した試合でした。負けた唯一の試合は3年の時で、下馬評では慶應有利だったのですが、タックルが決まらずスルスル抜かれてしまいました。油断は禁物ですね。おそらく早慶戦で勝ち越した代はかなり少ないと思います。
・4年生の時が創部100周年だったのですが、記念すべき年に大学選手権で優勝し、最終学年を勝って終えられたことはかけがえのない思い出です。国立での決勝だったのですが、修猷ラグビー部の同期もたくさん応援に来てくれました。


・社会人では、東京ガスで30歳までプレーし、引退しました。が、それから12年後、ラグビーのご縁からTBSドラマ日曜劇場ノーサイドゲームに出演し、トキワ自動車アストロズの一員として現役復帰しました。コンタクトシーンはガチンコで、毎回撮影後は体はボロボロでしたが、これもいい思い出です。

(日本代表での思い出/試合・メンバー・遠征地・試合相手など)
監督が平尾さんから向井さんに代わったタイミングで選出されました。一般公開形式でセレクションマッチが秩父宮で行われるということで、確か平日の昼間だったと思うのですが、500人くらいお客さんが入っていたと思います。
この試合でトライをすることができて、おそらくそれが評価されて代表に選んでいただきました。
しかし、代表メンバーには選ばれましたが、テストマッチ出場の機会は巡ってこず苦労しました。初テストマッチの相手は日本遠征に来ていたウェールズ。場所は秩父宮という戦い慣れた場所でリザーブとして後半の最後の方に出させてもらいましたが、柄にもなく緊張しました。その後、カナダ戦にも出場することができてcap2です。

(後輩へのメッセージ/修猷でラグビーをして良かったことなど)
修猷ラグビーを通して理不尽なことにもチャレンジしてください。なんかよくわからんけど、とりあえずやってみるという前向きな気持ち、よっしゃやってみるか!という腹を括るという経験が、今後の皆さんの人生を前に進める原動力になると思います。
最後に修猷ラグビーの仲間は一生の仲間です。彼らとは歳を重ねても連絡を取り合いましょう。付き合えば付き合うほど人生が豊かになると思います。