CELEBRATING
100YEARS


創部100周年に際して
修猷館ラグビー部は1925年(大正14年)産声を上げ創部100周年を迎え、深い感慨と感謝の意を新たにしております。
創部4年目に早くも全国中学校大会に歩みを進め、戦前に2度、戦後に6度全国大会出場を果たしております。さらに特筆すべきは1949年(昭和24年)第4回東京国体で難敵秋田工業を準決勝で撃破し、全国制覇を成しとげたことでしょう。
ここで私の修猷現役時代を振り返ってみますと、3年間の公式戦の戦績は4勝7敗、当時の中部(福岡)地区予選の1回戦は勝利しても、2回戦はことごとく敗れ、県大会にも進めぬ有様でした。団塊の世代が高校生となり、高度成長に伴い急激に大学進学熱が高まり「受験戦争」というワードが新聞紙上に踊る時代でした。ほぼ常時15人に満たぬ部員数で練習試合もままならぬ3年間でした。3年生が主将ただ1人という年がこの前後3度程あったのです。100年の歴史の中、最悪の低迷期でした。
しかし、その数少ない部員に対し、深い愛情と学業への配慮に満ちたご指導をして下さった顧問渕本武陽先生と存続の危機を救わんと夏合宿には部員数を上回る先輩方のご指導が今日の現役につながったと考えます。わずか5名が3年間を貫いた学年でしたが3名が早慶でラグビーを続けたのは、その顧問・先輩方の思いに応え、ラグビー愛、母校のラグビー部の再興を願ってのものであったでしょう。
その後も昭和51年から5年間、後輩たちとグランドで汗と泥にまみれ走り回った日々は生涯忘れ得ぬ充実した感激に満ちた日々でした。現役当時の恩師・先輩方のご指導に少し恩返しを果たせたかと自負いたしております。
最後に、深まる少子化傾向、男女比率の変化、定員減、さらには高校授業料無償化等の社会的変化は、公立高校に多大な変化をもたらすでしょう。
この百周年事業のテーマは「弥栄」です。いかに時代が移るとも、修猷ラグビーは常に光り輝くものであって欲しいとの願いを込めてのテーマです。現役諸君「彼の群小」を高らかに唱和しようではありませんか。現役諸君の奮闘を祈ります。
終わりにあたり、重ねて恩師・先輩方・ライバル校に畏敬の意を心より表し、拙文とします。