CELEBRATING
100YEARS


私と修猷館ラグビー部
ラグビーの試合を初めて目にしたのは今から63年前の1962年9月のこと、当時私は中学2年生だった。
戦前の韓国京城師範学校でのラグビー経験者でもあった恩師 玉木 実先生から誘われて観に行った平和台陸上競技場は多くの観衆で埋まり、「フランス学生選抜 対 九州代表」が間もなくキックオフを迎えようとしていた。我々は人混みをかき分け、漸くバックスタンドの国旗掲揚台下に席を確保した。
生えたばかりの美しい芝生のピッチに、金髪、長躯、純白のジャージ・パンツそして粋なスミレ色のストッキング、胸には紅い「雄鶏」のエンブレム、淡いピンク色に上気した肌のフランス学生選抜の選手達が眩しかった。
一方、九州代表はといえば、当時の日本代表の多くを輩出していた八幡製鉄の選手達が大半で、これに数名の九州電力等の地元企業の選手達で構成されていた。
日焼けした短躯、真っ黒のジャージ・ストッキングに白いパンツ、胸には「阿蘇山と噴煙」を赤・黒色のシンプルなエンブレムの選手達は対照的に地味で素朴だった。
ラグビー競技の何たるかを知らぬ素人にとっては、視覚からのみ入る情報が絶対であり、故に試合結果の予測は体格及び体力に勝るフランス学生選抜が容易に九州代表を蹂躙すると思われた。
しかしながら、予想通りだったのは試合開始後数分間迄で、以降は身体的に劣る九州代表がラインアウトを除き多くの局面で相手を圧倒、縦横にピッチを駆け巡り 21 対 6 で勝利、溢れ返る大観衆を沸かせた。
低い必殺のアタックル、密集を抜き去る鋭いステップ、完璧で洗練されたサインプレイに魅了された。
この後、フランス学生選抜は上京し、対日本代表 3 戦をはじめ慶應、明治、法政各大学との OB 現役混合チーム等と対戦し、7 勝 1 敗 1 分で日本遠征の日程を終えた。
小学生の頃から勉強は二の次でスポーツ大好きの私は、中学でも部活としての野球を主に、サッカー、柔道、陸上競技(三段跳び)に取り組んだがいずれも今一つ充足感を味わえずにいた。
しかしこのラグビー観戦の機会を得て、今までのスポーツ体験をすべて生かせる「ラグビーこそ自分にとって究極の目的」と定め、「修猷館でラグビーを」が当面のターゲットとなった。
その後、若干の紆余曲折はあったものの西南学院高校から久留米大学附設高校を経て、2 年次に念願の修猷館に転入学が叶い、即日ラグビー部入部以来今日に至る。

添付写真は、私が入部間もない 1964 年初夏「ラグビー部創部 40 周年記念式典」が開催され、その直後に OB の方々の厚志により新たに作っていただいたばかりの真新しいジャージに袖を通し、満面笑みの当時の 2・3 年生部員達
(前列左より)安部、※船木、佐座
(中列) 柴田
(後列左より)※小峯、吉田、※渋田、※村上、田中、※柴戸、里見(敬称略・※は物故者)
以上