CELEBRATING
100YEARS

100周年に寄せて
平成8年卒
眞鍋 健治
ラグビー部顧問

創部100周年に寄せて

 私が高校3年生の時に創部70周年を迎えました。選手、そして教員になり他校の指導者、そして修猷館ラグビー部の顧問としてさまざまな立場からではありますが、30年以上関われてきたことは私のラグビー人生にとって大変貴重なものとなりました。そして、この100周年の節目に監督として関わらせてもらえることを幸せに思います。

 指導者として修猷ラグビーに携わらせてもらったこの10年間は、世の中の価値観の多様化が進み、「教育の在り方」が大きく変化し、スポーツの在り方、そして部活の在り方も変化していく中で、「指導」の在り方を試行錯誤し続けた10年間でした。しかし、この100年間の歩みの中で、修猷ラグビーに関わってきた多くの人のおかげで、「学校の協力体制」「修猷ラグビー倶楽部からの支援体制」がしっかりと築かれ、変化の激しい大変な社会のなかにありながらも、本当に恵まれた環境で充実した活動を送ることができています。修猷館ラグビー部に入部してきた生徒達は、3年間存分にラグビーに打ち込み、様々な壁にぶつかりながらも、個性溢れる仲間達と切磋琢磨し、大きくそして逞しく成長することができています。そしてそんな生徒の姿を側でみることができていることは、何よりの喜びであり、感謝しかありません。

「チームとしてどれだけの感動を生み出せるか」
これは、私が、今チーム作りをするうえで最も大事にしていることです。「挑む」ことは、「感動」を生み出し、自分を成長させてくれる。そして、「挑む」ものが大きいほど「感動」も大きくなり、自分を大きく成長させてくれる。全国優勝チーム以外は最後に負けて終わるのが高校ラグビーであり、そこでどれだけの感動を生み出せるか。それは、どれだけの強い覚悟と想いをもって「挑む」かで決まる。

①勝利にこだわる
 東福岡に本気で勝ちにいく。「人材確保」「練習環境(施設、時間、資金等)」において大きな差がある。しかし、それを言い訳に絶対しない。勝つために何ができるか本気で考え、創意工夫で勝機を見いだす。自分達ができることに本気で取り組み絶対に妥協しない。そして、自分(達)の力を本気で信じて闘う。そうすることで一人一人が「本物」となる。「本物」の集団はとてつもなく強くなる。

②「凄い奴」になる。
 とにかく何でも頑張る。ラグビーを頑張るだけでも凄いことではあるがそれは当たり前。修猷生として、勉強も妥協しない(苦手な奴ほど死にもの狂いで取り組む)。学校生活(行事等)で リーダーシップを発揮する。そのためには、自分の強みを磨き、自分に自信を持つ。学校から応援される集団に。そして「信頼」「リスペクト」 される人間を目指す。

③新しいものを生み出す。
 現状に満足せず、言われることに素直に従うだけにはならないような反骨心をもつ。ラグビーにおいても常に新しい戦術に挑む。挑戦と失敗を積み重ねながら、修猷にしかできないラグビーを創り上げる。

約50年間花園から遠ざかり、100周年を迎えた。100年の歴史を刻んできたことを誇りに、この素晴らしい伝統を受け継ぎ、次の100年は花園出場に挑み続けること。そして、世の中で「凄い」人材を輩出しつづけることを使命として歩み続けてければと願っています。

【100年目の修猷ラグビー】

○グラウンドの人工芝化
2020年に人工芝グラウンドの完成。九州の公立高校では唯一。本当に最高のグラウンドで効率が良く、質の高い練習に取り組むことができています。中学生の憧れの一助にもなっています。ただ、時々砂まみれの毎日が懐かしくなることも・・・

○女子部員の増加
 この10年の間に女子部員が12名在籍(現在7名(令和7年度))。日本代表や国体で躍し、校内外での活躍は修猷館の活性化に貢献。

○福岡県ベスト4の常連に
 苦しいシーズンもありながら、花園予選ではベスト4に入り続けることができている。これまでの先輩達が受け継いできた伝統を土台に、各代の生徒がプライドをもって闘い続けることができている証明でもある。ここで満足せず、次は常に決勝にいけるチームへ、そして花園の扉を開く。

平成28年度(佐藤響)
 個性派ぞろいで我の強い人間の多い学年。チームはなかなかまとまらず、新人戦では、筑紫と接戦を繰り広げるも、あと一歩で九州大会へ届かず。徐々にチーム力は向上し、春には平和台での3位決定戦で筑紫に雪辱を果たすも、花園予選では、東海福岡に破れ、決勝進出ならず。

平成29年度(朝倉キャプテン)
 前年度の主力が多く抜け、心配したが新人戦では準決勝まで勝ち上がる。しかし、インフルエンザの猛威に勝てず、3位決定戦の日にレベルファイブスタジアムに来たのは15名。福岡高校創立100周年記念試合で全校生徒前で惨敗し、この代の目標は「打倒福高」に。九州大会予選で再び、敗れるも花園予選でリベンジを果たすも、準決勝の東福岡戦ではなすすべなく敗れる。目標を高く持たせることができなかったことを悔いる。

平成30年度(楢本キャプテン)
 部員も少なく、不器用な選手が多かったが、とにかく真面目にひたむきに練習にとりくみ、体を張ることに関しては最高な集団であった。新人戦、九州大会予選とベスト8どまりであったが、下を向かずに地道に練習に取り組む。自立した大人のチームに成長し、花園予選では、準決勝の筑紫戦では防戦一方の展開ながら魂のタックルで前半リードで折り返すも後半力尽き惜敗するも、感動を与えてくれた。

令和元年度(佐藤陽キャプテン)
 小柄なFWであったが、体を張ることに関しては先輩ゆずりであった。新チームになると、練習試合では負け無しで期待が膨らむも新人戦の福高戦で試合終了間際に相手にインゴールから100m走られ大逆転負け。その後もチームはなかなか波に乗れず、花園予選ではベスト16で筑紫と対戦することになり、接戦に持ち込むも力及ばず・・・。力のあるチームではあったが、結果を残させることができずに申し訳なかった。

令和2年度(横光・岩﨑キャプテン)
 グラウンドの人工芝化に向けた改修工事が始まり、周囲の学校へ出稽古の毎日。そんな状況を逆にチームの力に変え、新人戦で3位に。しかしコロナウイルスの影響で活動停止(九州大会予選は中止)。そんな苦労がありながら前を向き続ける。花園記念大会で2校枠の最大のチャンスのなか決勝進出するも、決勝の最初の15分で波になりきれず、後半立て直すも花園に届かず、最後は悔しい結果になってしまった。

令和3年度(谷口キャプテン)
 能力の高い選手が多い、個性が強い選手が多い、そして、それをうまくバランスをとれる選手が揃う、この10年間では最強といえるチームであった。九州、全国の強豪とも十分に闘える力を備えていたが、どこか不安定なところもあり九州・全国出場の目標は果たせなかった。花園予選では実力通り決勝に進出するも、決勝戦では東福岡の前に力を十分に発揮できずに完敗。

令和4年度(島田キャプテン)
 能力的には前年よりも若干おとるが、主力であった選手も数人残り、明確に全国を狙ってスタート。とにかく明るいチームでゲーム中は負けていても負けてる気にならない(相手は勝っている気にさせない)チーム。新人戦では準決勝で東海福岡に逆転勝ちし、九州大会に出場。九州大会でも、接戦を勝ち上がり選抜大会に出場。選抜では、古豪秋田工業に勝利と修猷ラグビーの歴史をつくる。

令和5年度(目原キャプテン)
 自分の考えをしっかり持ち、またしっかり主張する頑固者が多く、チームをまとめるのに大変だが、覚悟を決めたらとことんやりきれる集団であった。新人戦では筑紫に勝利し、3位になるも、その後はチームが停滞ムードになり九州大会予選では、準決勝で前半戦で勢いに飲まれ東海福岡にまさかの敗戦、その後の3位決定戦でも筑紫に逆転で負けてしまう。夏頃から、目の色が変わり、花園予選準決勝で東福岡と対戦。後半10分までは東福岡と十分に渡り合い勝利を期待するも最後は力尽く。ハードタックルからのターンオーバーから奪った2トライ目はこのチームの最高のプレーだった。

令和6年度(山口キャプテン)
 部員20名とこの10年で最多の学年。高校からラグビーを始める選手も少なくなってきたなかで、9名の部員が高校からラグビーを始め最後まで続けた。新人戦では、雷雨でキックオフの時間が遅れるも、逆にそれを勢いに変えてしまい、九州大会出場。だが、とにかくけがの多い学年で、片桐トレーナーには大変お世話になりました。けがの含めゲームに出ることができない3年生達がよく頑張ってくれたおかげもあり、花園予選では準決勝で筑紫と死闘を繰り広げるも最後は惜しくも敗れる。